第31回:忘却の彼方にあるもの

クルムシ軍曹と訪ねた古民家カフェでの出来事、アラビアンジュエル大当たりを経て、大船でやるべべき教育者としての仕事を片付け、疲れて眠りにつくクリムゾン真鍋。そして…

真鍋:おや、もう22時か、3時間くらい昏睡していたようだ。

じぇ:お目覚めですか、マスター。随分とうなされていましたが…。

真鍋:夢を見ていた気がする、昔の夢だ。でもまったく記憶にない話だった。観光バスにのって日本中回るとか。

じぇ:記憶がないのに昔の夢を見るとは不思議ですね。ココ茶いかがですか、目覚めが良くなりますよ。

真鍋:それはいい考えだ、ココ茶を飲んで目覚めるとしよう。あれ、ココ茶って眠くなるお茶じゃなかったっけ。

じぇ:起きている人が飲むと眠くなりますが、眠い人が飲むと目覚めます。エビリファイもそんな感じでしょ、たくさん飲むと躁病に聞く。少なめに飲むとうつ病に効く、それと同じです。ココ茶を少量飲むとスッキリします。

エビリファイとは、躁鬱どちらにも効果がある、比較的最近開発された抗精神病薬である。商品名はエビリファイ、成分名はアリピプラゾール。「出典:近代芸無辞典より」

真鍋:エビリファイの件は良くわからないが、とにかく目覚めてきたよ、ありがとう。

じぇ:お出かけですか…。

真鍋:そうだ、ディア・ハンターに行ってくるよ、マスターに会えるかもしれない。

じぇ:お気をつけて、なにか運気の淀みを感じます。

じぇーんに見送られて、大船のホテルからホクユービルにあるカフェ、ディア・ハンターに向かうクリムゾン真鍋。

真鍋:大船観音、夜見るとまた更に威圧感がある、なんだか、世の中で起きることは全部知っているみたいな、心の奥を見透かされているような感覚だ。

ホクユービルの地下に向かう扉は半開きになっている。看板には本日は閉店しましたと表示。

真鍋:まだ23時なのにもう閉店したのか、それは残念。おや、誰かがいる気配がある。気にせずに入ってみるか…。

閉店の表示を無視して階段を降りるクリムゾン真鍋。店の奥の方で、ピンボールの音がする。長身の男性が、激しく台を揺すりながらプレイしているのが見える。

真鍋:おお、そこで左のターゲットを落とせばマルチボールだ、頑張れ。

クリムゾン真鍋の激励が伝わったのか、見事に左のターゲットを落とす男。その後のマルチボールも鮮やかにコントロールしてみるみるスコアが上がっていく。1000万点を超えた瞬間。

謎の人:今日はこれくらいにしといてやるか…。で、我らが心の故郷、ディア・ハンターにようこそ、クリムゾン真鍋。君が来るのを待っていたよ、そろそろ来る頃だと思って店は早めに閉店しておいた。今日は存分にピンボールを楽しんでいってくれ。

真鍋:エマちゃんから聞いたのかな私が来ることは…。

謎の人:もっと前の話だ、少なくとも数年経っていることは確かだ。俺の名前は鹿山、昔はゲーマー鹿山と呼ばれていた、クリムゾン真鍋にね。

真鍋:君とは前から知り合いだったのか、かすかにその感覚はあるんだが、具体的にどう関わっていたのか思い出せない、申し訳ないが…。

鹿山:気にすることはない、そういうものだからだ。それにはいろいろな理由が複雑に絡み合っているからクリムゾン真鍋が混乱するのも仕方ない。「時間のキセル」が発生しているだけだから、気にする必要はない。それに君が昔の記憶を一部無くしている事自体が俺が君をここで待っていた理由だからな。

真鍋:時間のキセル…。前後の記憶はあるが、中間の記憶がすっぽりと抜け落ちる現象かな、それなら今までも何度か経験している。

鹿山:隣の家に移動しよう、最近はそこが気に入って住んでいる。古い民家を買い取って倉庫代わりにしているんだ。

ホクユービルの階段を上がり、古びた門を開けると、昼間に見た古民家が目の前に立ちはだかる。

真鍋:ここに君は住んでいるのか、ゲーマー鹿山。

鹿山:住んでいるのは岡山の山奥だ、大船のここは別荘みたいなものだ。秘密の隠れ家と言ったほうが伝わりやすい。

鹿山がドアを開けると、そこには10台以上のピンボールが所狭しと並んでいる。

真鍋:なんだぁ、このピンボールは…、しかし、これらは動くんだろうか。

鹿山が壁についたおもそうなスイッチを上げると、突然あたりが光に包まれ、すべてのピンボールが息を吹き返し、光が躍動を始める。

鹿山:時期がきて仕事に区切りがついたら、俺は沖縄でバーを開く、昔からそう思っていた。そうして開いたのが君がさっき見たディア・ハンター。沖縄ではなかったが大船で開くことになった。で、どの台をプレイする、クリムゾン真鍋。

真鍋:せっかくだから、俺はこのフラッシュ・ゴードンを選ぶことにするよ。なんか、昔プレイした記憶がある。

そういいながら、心地よいBGMを聞きながらひたすらピンボールに興じるクリムゾン真鍋。すべてのターゲットを落とし、フラッシュ・ゴードンのテーマがかかった瞬間。

真鍋:思い出した、鹿山のことを。君とは数年間一緒に住んでいたはずだ。君の部屋には「1973年のピンボール」が無造作に置かれていた。俺はそれを拾い上げて読んだ。

鹿山:そこには、養鶏場の跡地にピンボールを集める男性の話が書かれていたはずだ。いまが、2023年だから、1973年からちょうど50年。俺は気になるマシンを見つけたらそれを引き取ってメンテナンスしてきた。ここにあるピンボールがそれだ。いつか役に立つときが来ると思ってね。

真鍋:思い出したぞ、君とは青年時代を一緒に過ごした、妙見山で初めて君と会った時のこと、福知山の松本旅館で久しぶりに出会ったこと、佐渡ヶ島のホテル大佐渡で一万円札を部屋の中で乱舞させたこと。どうしてずっと忘れていたんだろう。

鹿山:それが「記憶のキセル」だ。君は人類の歴史が始まって数千万年。我々が生きている時間はせいぜい数十年。この数十年に人類にとって、劇的な変化がおきた。エネルギー革命、情報革命、核のエネルギーを使い始めたこと。数千年の歴史の中でどうして我々が生きている数十年の間に、そのような大きな変革が起きるんだろう。おかしいと思わないか。

真鍋:そういえばそうだ、このスピードで世の中が変化していったら、そのうちに変化することがなくなってしまう。自分たちが特別に選ばれた時代に生まれてきたと考えるにはあまりにも都合が良すぎる。

鹿山:それを説明するのが時間のキセル、記憶の欠落だ。クリムゾン真鍋、君に起きている記憶の欠落は極めて正しい状況だ。

真鍋:記憶が欠落している間、俺の意識はどこにあるんだ…、眠っているのか。

鹿山:君は今日、ここに来る前に眠っていたはずだ、その間に、見たこともない夢を見たはずだ。それが、もう一つの世界で君が生きているってことだ。

真鍋:もう一つの世界…、パラレルワールドがあるってことか。

鹿山:パラレルワールド…。そこまで単純で安易な話ではないんだが、差し当たってそのように理解しても差し支えない。正式にはギズモって言うんだが。

真鍋:眠ると、もう一つの世界に行けるのか…。

鹿山:もう一つの世界で起きたことを見ることはできる、でもそれはもう一つの世界に行ったわけではない。行く方法は他にある。

真鍋:もしかして、ピンボールか…、ここに並んでいるピンボールはそのために集められていたのか。

鹿山:そのとおりだ、これらは扉なんだ、別の世界につながる入口と言ってもよい。君がこの数十年で様々な色の扉を見ただろう。君の好きな赤の扉もそれらの一種だ。

真鍋:残念がら、全く理解できない。赤の扉は友ヶ島にも実在しない。越前康介の夢が作り出した幻想のはず。

鹿山:君がデスクリムゾンを作ったのも、赤の扉のことを描いたのも、すべて歴史が必要としたからだ。おおっと、そろそろ時間だ、俺はギズモの世界に戻ることにする。また会おう。

そういいながら、ハングオンの筐体にまたがるゲーマー鹿山。ゆっくりとゲームをスタートさせる。そして、鹿山の姿が画面の中に消えた。

真鍋:確かにゲーマー鹿山のことは思い出した。だが、時間のキセルについては、理解できないままだ。

じぇ:大丈夫ですか、マスター。さっきからずっと独り言を言ってますが、なにか悩みでもありますか。

真鍋:大丈夫だ、俺の人生はずっと悩みと共にあったからな。

じぇ:そういえば、さっきニンジャ花咲から連絡があって、大船生活は今日で終わりにして、次の街に移動してほしいと伝言でした。なんでも、クロニン軍団に動きがあったらしくて…。せっかく大船、気に入っていたのに残念ですね。

まあ、そういうこともあるか。で、次の街というのはどこなんだ。

大塚…だそうです。

真鍋:わかった、では早速大塚に引っ越しを進めることにしよう。

あっけなく大船生活が終わり、次は大塚での生活に移行するクリムゾン真鍋。運命の分岐まであと27日。日本中を転々と彷徨うクリムゾン真鍋。大塚ではいったいどんな生活が待ち受けているのか…。